「Ninja30周年の思い出」③-2
それにしてもサーキットでのあの「音」この頃オイルの匂いはあまりないがカメラに収まらないぐらい早くなった速度ドナイやねん(オイラがトシをとり追いかけられないんと違うか?)・・・
「ホンマに早い」(5,821kmを2分10秒台平均何キロやろ?・・・「てなもんや三度笠」
そら~オモロいでレースは「人間の極限を求めてエンジニャーが・スタッフ&メカニックが・ライダーが全知全能を注いで」「己の全てを掛けて戦う戦場」やっぱええな~
時間を30年戻して斎藤昇司&多田喜代一の「Ninja」8時間耐久10位に入賞した斉藤昇司の手記をご披露致します・・・
TEAM GREEN発足後の記念すべき1995年メインレース鈴鹿8時間耐久
勿論、8耐は宣伝を兼ねてGPz750Rを2台体制で走らせることになる。TEAM38のメンバーだった’83年の8耐で日本人最高位の4位になった岡&日下が組みゼッケン38番、斎藤&新入りの多田が組むゼッケン39番、この2台で挑むことになる。
トラックのような重量級のマシンを8時間も走らせるには、かなりの体力がいるが気合と根性しかないと決めて挑む・・・練習ではTOPチームは2分20秒前半で走るが、我々の重量級トラックレーサーは2分30秒を切るのは「必死のパッチ」予選に入ってからは少しでもタイムを上げなければと思い、多田とお互いにバトルしながらタイムアタック、Aライダーは斎藤で先にタイムアタックして29秒台に入れる、次にBライダー多田がアタックして28秒台にタイムアップ。
そうして2回目のアタック、俺にもテストライダーとしてのプライドがあるので多田には負けるわけにはイカンし、根性と気合で28秒台前半で走り終えた・・・
今度は多田の2回目のアタックや、コイツ更に気合一発27秒台に入れてきた体は小さいがさすが勝負士(師では?)お互いにライバル心むき出しの結果、こんなトラックみたいな非力なマシンでも予選20番手のポジションに着けた・・・イヤーチームみんな満足だった。
TOPはケニー&平組、腕章が黄色なので平選手
2番手はガードナ&徳野組、コレは間違いなく徳野選手
そして決勝や、オイラ二人のタイムはホボ同じなのでミス無く走れば上位入賞も可能なのでとにかくミス無いように走り切ろうを目標に決勝に挑む・・・
スタートライダーは多田1周目15番手ぐらいで戻ってくる、さすが負けん気の強い多田ちゃん・・・気合の入った走りや・・・
その後も順調に走り10位をキープしていたが、オレの2回目の走行の時にピットサインが出る前にガス欠になってしまった。
ヘアピンを立ち上がってマッチャンコーナーに入ったあたりでエンジンがボソボソ泣き出して、スプーンを立ち上がる時にはまともに加速してくれずストール寸前、まさかのガス欠、ピットからこんなに離れたところで止まればピットには戻れないと考えながら、騙し騙し130R近くまでたどり着いたが130R手前で完全に息途絶えてしまった・・・130Rからピットロードまではまだ距離はあるが、一番熱い時間帯の中を必死に押しながら、勿論ヘルメット、スーツの中はずぶ濡れ状態になりながらやっとピットにたどり着いた。
この時、思ったことは鈴鹿のピットロードが若干下り坂だったので助かった・・・当然、超満員のシケインスタンドやグランドスタンドからは観客の大歓声が聞こえたような気がしたのだが、死に物狂いの格闘中たどり着くのにやっとのことであった。
マーオイラも若かった、その後はこの重量級にも慣れてきたのか,猛暑の中を淡々と走り続け、夕闇迫る頃、TOPを快調に走っていたケニー&平組のTECH21がグランド前で止まっている、
シメたヒトツ順位が上がったと考えながらゴールを目指して8時間を走り切りました。
重量級のアップハンドルのトラックレーサーが・・・優勝したガードナ&徳野組に7周遅れの10位でチェッカーを受けることが出来たのであります。
ライムグリーンの代表としてTEAM GREENの記念すべき初8耐で10位入賞は記念すべき結果で目標の宣伝活動としても十分であったと思う。
その後、GPz750Rはヒット商品となり、カスタムではエンジンサイドのアルミサブフレームが大流行し、未だ人気衰えずの「Ninja」はKAWASAKIの名車に名を残しました。
こう結ばれている、あのガス欠の時の斎藤昇司は死に物狂いに押したのであろう、よく頑張ったもんである。
おまけに400のレースの写真をサービス
ボードを持った迷監督の顔見てください得意満面
ノービスのレースには最前列レース中に叱咤激励、8時間はピットで瞑想・・・お祈り
チャンチャン 若き良き時代の良き思い出であります。
T-hirai