いよいよやってきますよ、2014年(平成26年)今年は皆さん如何な一年でしたか?一年なんて早いものですね。
私は残念ながら、膝の軟骨が磨り減り一年中足を引きずって過ごしました、また9月20日を持ち兵庫メグロ販売㈱を退任しました。
と云うところで決して順調で無い一年でしたが、しかし、お陰さまで傘寿を迎え足以外は至って元気です。
健康が第一、10月よりジム・トレーニングを初め筋肉を付けることで膝を守ることを最重点に専念し、少しではありますが快方に向かっております。
何分にも3年懸りで壊した膝、ナカナカ思うように成果は出ておりませんが良くなっております、翌年に向かって明るい日差しが差し込んでいるところであります。
頑張ります来年は「夢」向かって真っしぐら?非常に難しい問題ですが粛々と進めたいと考えております。何卒応援お願い致します。
さて本論に行きましょう。「TEAM GREEN」も31年目を迎え、2014年は心機一転ロゴも変更、ロード8時間耐久にワークス体制で出場を決め、前向きに邁進する様子であります。
これは非常に面白いことであり両手を上げて歓迎です。
販売会社の実施するレース活動は「販売促進・広告宣伝・ユーザーサービス・関係者各位の士気の高揚・KHIに対する市場における技術情報の提供、必要欠くべかざる分野と確信致しております。
さてさて先日のTEAM GREEN30周年記念式典に集まった30年間、頑張ったロードレースのライダー関係者のご紹介致します。
まずは私がR・Rを担当したのは(正式にはKRTの凍結より1984年頃なっているが)オートバイを販売している我々がレースを忘れてはイカン絶対続けなければKRT再開の時にも時間がかかると・・・
引き続き継続したいと当時の最高責任者古谷錬太郎常務に泣きつきTEAM GREENでロードレースもやることになったのが正式には1985年、実は1982年当時より、TEAM38とのコラブでロードレースの分野にスプリント&耐久と出ていたのだが・・・
思い出は、1985年正式にTEAM GREENにロード部門が(昨日の紹介写真ロードを参照)
ノービス耐久8時間の最終1985年斎藤昇司&多田喜代一組、岡 正弘&日下直一でカワサキの誇る技術陣が万を持して投入した、「GPZ750R」(来年2014年がNINJA生誕30周年らしい)の宣伝を兼ねて走らせ、見事他メーカーのワークスを向こうに回して10位に入賞忘れもしないぜ、ゼッケン39良かったな~
それに’82年にはGPZ400を駆り、岡&故新谷を配しホンダとの直接対決見事に優勝するも、ホンダの策略にかかり仮表彰台は2位、本表彰で優勝、訳わからんイヤー車検場で「ヘットを開けろ開けない」と座り込みした思い出も・・・
喋らしたら止まらない・・・
(ちょっと報告、昨日のMXライダーの紹介した名前は全部城田選手から聞きました間違いない)

キヨさんが野村監督に紹介されて壇上に「KIYO節」炸裂 ヤンヤヤンヤの喝采

ロードライダー全員集合
写真左から斎藤昇司・林 英治・鶴田竜二・野村純一・北川圭一・塚本昭一・平井稔男(赤ちゃん)
梁 明・後列左から清原明彦・酒井大介・マシンのそば柳川 明・多田喜代一

鶴田竜二先輩KIYOに一献、そばでは林(現 スパ直入のインストラクター兼エライさん)

1980年代のコンビ 塚本・平井・斎藤・多田

写真左から 安井(KRT)酒井・富松(BEET社長)平井・佐々木(ブライト社長、この方1985年当初TEAM GREEN担当偉くなったもんやイカン怒られる)

岡部部長(KHI、レースが好きで黙々と開発に精を出していた努力が報われたのでは)旧友?怒られる

写真左から 林・鶴田・野村・北川・梁・後ろ多田

清原・女性お二人(KMJレース担当)平井・梁・多田
マダマダ写真はイッパイあるけどここらでお許しを(機会があったらご紹介致します)
一年間ご愛顧を頂きありがとうございました。
皆様にはご家族ともども良き新年をおむかえになりますこと祈念いたしまして、2013年を締めくくります。
「ありがとうございました」
t-hirai